ひろしま市民パブリシスト

HIROSHIMA PUBLICIST

中区白島・お花見さんぽ

ポカポカ陽気に誘われて、平成最後のお花見に出かけました。
「広島電鉄・白島(はくしま)駅」を出発し、直線距離で約800メートル離れた「アストラムライン・白島駅」まで巡り歩きます。
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相棒のデジタルカメラを手に、北に向かって歩き始めること約5分。広島市中消防署白島出張所の手前で私を出迎えてくれたのは、2匹の精かんな狛犬と、満開の被曝樹木でした。
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お社の名は「碇(いかり)神社」。海から遠く離れているのに「碇」と名付けられている理由は、ここが海辺であった奈良時代までさかのぼります。周辺の大岩盤で船の難破が相次いでいたため、地と海の神様を鎮祭。その後、約800年もの時が流れた1589年、毛利輝元公が広島城の築城に際して社殿をあらためて造営すると、古来より往来の船がこの地に碇をおろしていたことから、碇神社といわれるようになったと伝えられています。現在の白島地区がその当時、「箱島(はこしま)」という名の「島」であったことを記す境内の掲示には、ただただ驚かされるばかりでした。

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満開のソメイヨシノは昭和20年8月6日に、爆心地から1800メートルのこの地で被爆。焼け残った根元から新芽が生えて成長したものだそうですが、「被爆後75年間は草木も生えない」と言われた時代の生命の奇跡に、私もしばらく立ち去りがたいほどの感動を覚えました。

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つつましい被曝樹木に別れを告げて北上すること約
5分。牛田大橋の手前に続く京橋川沿いにも、見事な桜並木が連なっていました。
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上流に向かって歩み始める前に、「八剣(やつるぎ)神社」にご挨拶。広島城の2代目藩主・福島正則公が人柱を入れる代わりに、秘蔵の名剣8本を地中深くに奉納し、この地の洪水による堤防決壊を堰き止めた逸話が残るお社です。

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心優しきお殿様を想像しながら、川上に続く遊歩道に足を踏み入れると、昼下がりのお花見を満喫する人々の姿がありました。

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家族連れにカップル、大勢の仲間連れなど、幼い子供さんからご年配の方まで、思う存分に宴を楽しんでいる様子が伝わってきます。

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ブルーシートの上でお弁当を広げたり、有償の桟敷席で焼き肉に舌鼓を打ったり。出来立てのお好み焼きや、おでんなどを販売する屋台もあるので、花冷えのする夜桜の時間帯も体が温まりそうです。
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水面に白が映える美しいつり橋「工兵橋」を前に、春霞のかかる広島駅方面を望むと、ここ数年で駅前の風景を一新させた高層ビルまで見渡せました。

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町の移ろいを感じながら京橋川と本川が分流する地点にたどり着くと、木の生えた中州で野鳥たちが羽を休めています。その平和でゆったりとした"楽園"の光景に、「この先も変わることなく、いつまでも続いて欲しいなあ...」という思いが込み上げてきました。

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ベンチでの休憩を終え、本川沿いを再び歩き始めると、延々と連なるピンクの並木道に心が躍ります。
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ホームテレビと上野学園ホールが立ち並ぶ一角には、明治時代に桜の苗がこの地に植えられた歴史を伝える石碑「長寿園記」が今も遺されています。時は流れ、屈指の桜の名所として知られた戦前の長寿園は原爆により壊滅...。しかし、先人たちが愛情を注いだ桜並木は復興を果たし、今まさに「令和」という新時代に引き継がれようとしています。
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歴史あり、優しさあり、豊かな自然ありー。この春、桜を求めて巡り歩いた白島の散歩道は、季節を越えて何度でも訪れたい広島の魅力に溢れていました。
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市民パブリシスト 柿田 裕子

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